ロジカルな僕が、人に寄り添うことで変わった5年間。【私のキャリア年表 vol.1】

マーケティング事業創造新卒

ひと

連載:私のキャリア年表
本企画では、レバレジーズで働くさまざまな人を取材し、これまでの仕事で自己が誇れること(ドヤ歴史)や失敗経験(黒歴史)を切り口に、普段の姿だけでは分からないキャリアの歩みを浮き彫りにします。

今回取材するのは、2020年7月からスタートしたスカウト型求人メディア「レバテックダイレクト」で新規事業責任者を務める佐多さんです。事業戦略の構築からチームマネジメントまでを担います。そんな彼の今があるのは、入社から5年間で得た学びが、業務を通して定着した結果でした。「僕はせっかち。すぐに成果を求めがちだけど、事業もチームも成長のためには急ぎすぎず、じっくり熟成させるような感覚も大事かなと今は思っています」と語る佐多さんのキャリアを紐解きます。

Contents
Profile
  • 佐多(Sata)
    レバテック株式会社 ITメディア事業部部長 兼 マーケティング部 事業開発室 グループマネージャー

    慶應義塾大学を卒業後、2015年に新卒入社。入社後はマーケティング部広告チームに配属され、レバテックの広告制作を担当。1年半後、新規事業検討室の立ち上げに参画したのち、広告チームの立て直しに従事。広告運用の最適化をおこない、個人で年間1.2億円の利益を創出。その後は、IT領域のマーケティング責任者、マーケティング部の組織設計やマネジメントなどを遂行し、2020年1月より新規事業の事業責任者に就任。

キャッチコピーの「千本ノック」でスタートした1年目

 

僕が一番最初に担当したのは、レバテックの広告制作です。毎日キャッチコピーを書き、当時の上司だった棚橋さんに提出していました。当初は「これぐらい考えれば十分だろう」と10本ぐらいコピーをつくりました。それを見た棚橋さんに「佐多はこの候補の中に、本当にユーザーに刺さるコピーがあると思う?」って問われて。そこから今の僕にできることを突き詰めた結果、「それなら1日に100本のコピーを書こう!」と、アウトプットを増やすことにしました。手を動かす中で実感しましたが、100本つくったコピーの中から1本採用されるかどうかの世界でした。

 

この頃は、帰宅後もテレビでいろいろなCMを分析しましたよ。「誰に向けてどんな意図でつくられたCMなのか」、「もっとインパクトのある内容にするにはどうすればいいのか」をノートにまとめる日々でした。

 

新卒配属の第一希望はSEOの部署でしたが、今思えば、最初の仕事が広告で良かったと思います。ビジネスに関わる全ての要素をあつかえたからです。コピーライトひとつとっても、商品の魅力をどう差別化するかや、ユーザーの心の奥にある生活背景の想像力も問われるし、広告予算も関わってきます。広告にもさまざまな業務がありますが、コピーライティングという専門性が深い領域に関わりつつ、ビジネスを俯瞰する目が養えたのが良かったです。

 

 

社長からの優しくも厳しいフィードバック。この学びが今の僕をつくった。

 

学生時代にサービスを制作した経験もあり、入社前から事業立ち上げに携わりたいと思っていました。岩槻代表や執行役員の藤本さんと会うたびに「新規事業をやらせてください!」と伝えていたところ、新規事業検討室の立ち上げ時に声をかけてもらえました。そこからは、ゼロから事業を立案する日々でした。

 

現実は甘くなく、事業アイデアを社長に毎週プレゼンしては、厳しいフィードバックを受ける状況でした。半年で30案は出しましたが、「やってもいいかな」というコメントがもらえたのは3案だけでした。岩槻さんの柔らかい口調で「佐多くんの考え方は、人がついてこなさそうだよね」と言われた時は、「確かに」と後からダメージが来ましたね(笑)

 

よく指摘されたのは「視点が少ない」ことでした。当時の僕は、事業効率だけを考え、事業背景や収益性を軸に話していたんです。しかし本当に価値のある事業は、収益性だけでなく、社会貢献や働くメンバーの自己実現とも両立させる必要があります。

 

正直、当時の僕は、会社への事業的な貢献は少なかったと思います。ですが、この学びがじわじわと定着し、今の事業責任者の仕事に生きています。

 

 

私のドヤ歴史

 

ボロボロの広告チームをV字回復。個人でも年間1.2億円の利益を創出。

 

入社3年目にボロボロだった広告チームのリーダーとして、1年でチーム賞が獲得できる状態にまで立て直しました。実はこのチーム、僕が新卒時代に所属していました。厳しい状態であることは、違う部署にいた僕でも知っていました。そこで働く人の力になればと思い、外からできることをおこないましたがやはり限界はあって。それなら、中からチームの立て直しに関わろうと思い、新規事業検討室から異動してきました。

 

当時の僕は、チームビルディングは正直なところ苦手でした。新規事業検討室でフィードバックを受けていたように、これまではロジックに重きをおいていたからです。

それでもメンバー同士の接触頻度を増やしたり、同じ目標に向かって進むために広告チームのビジョンやミッションを掲げたりと、できることは何でも取り組みました。

 

メンバーに「事業という船の乗組員」になってもらえるよう、方向性となる価値観を示したいと思うようになったのはこの頃です。事業の成長は急ぎたいけれど、チームとしての成長も大事にしたい。この視点は藤本さんの事業運営に影響を受けています。当時を振り返ると、キックオフの資料づくりにしても、参考にした部分が多くありました。

 

さらにこの時、レバレジーズで史上初めて利益ベースでの広告運用の最適化をおこない、個人で年間1.2億円の利益を創出したのも、胸を張れるエピソードです。

 

 

私の黒歴史

 

読書に没頭して遅刻を連発した入社半年。

 

僕の「黒歴史」は、入社半年で4回寝坊したことです。元々、本が好きで、その中でも歴史書を重点的に読んでいます。事業戦略を考える上でも参考になります。新卒時代も終業後から深夜3時頃まで本を読んでいたら、朝起きられなくて……。

 

最初の遅刻は「何かあった? カフェルームでお茶でも飲みながら話そう」と天使のように優しく接してくれた労務担当も、4回目は雰囲気が違いました。柔らかい笑顔が消え「次は、本当にないからね」とゆっくり、低い声で言われました。最初とのあまりのギャップに、さすがにこれはまずいなと痛感しまして。それ以来、僕は1度も寝坊していません!

 

当時の上司だった棚橋さんからは「佐多は間違ってない。でもRAIDEN(ライデン、大音量の目覚まし時計)を買いなさい」とアドバイスをもらいました。藤本さんからも「今日は起きてる?」と毎日連絡をもらっていました。ただ、藤本さんはその時まだ面識がなくて。初めて会うまで、「誰か同期で見落としている人いたっけ」ぐらいに思っていました…(笑)

 

 

私の未来年表

 

「立場の弱い人が輝ける未来」を事業を通してつくりたい

 

将来は地方創生や途上国の支援など「立場の弱い人が輝ける未来をつくる事業」を立ち上げたいです。小さい頃に住んでいたアメリカのテキサスで、人種問題や貧富の格差などを目の当たりにしたことから、少しでも平等な社会づくりに貢献したいと思うようになりました。岐阜県の多治見で暮らした経験も大きいです。自然豊かな地域で僕は大好きですが、一方でその魅力は知られていないのが現状です。

 

こうした領域はマネタイズが難しいからこそ、事業を立ち上げ成功させる力が必要です。そのためにもレバレジーズで多くの事業を構想し、社内外のさまざまな仲間を巻き込み、試行錯誤しながら形にしていく経験を今以上に積み上げたいと思っています。物事の面白さを言葉にして伝える能力を今以上に高めていきたいです。

 

そしてこうしたステップを経て、世の中を変えられるような、よりインパクトが大きく難易度の高いビジネスを生み出していくアイデア力を身につけていきたいと考えています。

Read More
こんな記事も読まれています