二度の起業、コロナ禍の挫折。異色な経歴を持つプロダクトマネージャーは今、メガベンチャーの中枢で事業創りに奮闘する。

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今回取材したのは、事業戦略室に所属する田川さんです。田川さんは大学時代を含め2回の起業経験があり、コロナ禍の挫折やフリーランスを経てレバレジーズへ参画しました。また、ファーストキャリアがエンジニアという異色な経歴を持ちます。そんな田川さんがレバレジーズに参画を決めた一番の理由は「魅力的な経営陣との事業創り」でした。田川さんのこれまでの経歴や価値観、そしてなぜ起業ではなく事業会社へフリーランスとして参画というキャリアを選択したのか、その決断の背景に迫りました。(ライター:松本)

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Profile
  • 田川(Tagawa)
    事業戦略室 プロダクトマネージャー

    エンジニアとしてキャリアをスタートし、学生時代含め二度の起業を経験。海外でのプロダクト開発やマネジメントの経験を経て、レバレジーズへ参画。現在では事業戦略室で主に新規事業の立案から実行のフェーズを担当し、法人向けのSaaSのプロダクト開発においてプロダクトマネージャーのポジションを担っている。趣味は、読書、アート鑑賞。

学生起業からスタートした波乱万丈なキャリア

まずは、現在の仕事内容を教えてください。

事業戦略室で主に新規事業の立案から実行のフェーズを担当しています。直近では、新規事業である法人向けのSaaSのプロダクト開発にプロダクトマネージャーとして携わっています。今年リリース予定のため、ちょうど佳境に入ってきたタイミングです。そのなかでも、私は製品全体を管理する基幹プロダクトのプロダクトマネージャーや、事業戦略の策定支援やそれに伴う調査などをおこなっています。

 

レバレジーズへ参画するまでは、どのような経歴を積まれてきたのでしょうか?

実は今まで2回起業を経験していて、紆余曲折あり現在に至ります。学生の頃に起業家サークルを立ち上げ、堀江貴文さんの鞄持ちをしている方や、当時有名だった起業家と交流を持ちながら、自身もSNSで知り合った社会人と起業しました。しかしながらうまくいかず解散し、スマートフォンアプリの開発会社に就職し、その後リクルートライフスタイル社へ開発ディレクターとして転職しました。

 

そこでは知名度の高いプロダクトの開発や、広告や会員制ECサイト、若年層向けアプリケーションなどの新規事業に携わりました。しばらくして、プロダクト開発のシニアマネージャーとしてインドネシアの子会社への出向が決まり、これがキャリアの転機となります。

  

現地では、海外駐在による英語の習得やグローバルネットワークの獲得など良い経験となりました。また当時の日本はエンジニア不足が深刻化しており、自分の経験と社会的な課題が一致していたため「外国人エンジニアを日本国内企業へ紹介する事業」で二度目の起業に挑戦しました。ですが、起業した際の事業は海外へ目を向けたものだったため、コロナの打撃を受け事業の継続が難しくなってしまいました。その後、レバレジーズ代表の岩槻さんや役員の藤本さんと出会い、経営陣の魅力に惹かれフリーランスとして参画を決めたという経緯です。

 

起業をされるまでは、どのような経緯があったのでしょうか?

もとを辿ると、中学生の頃の経験がきっかけです。当時、報道や政治の分野に漠然と興味を持っていて、大手テレビ局へ自らテレアポして社会見学へ行きました。その際に、当時有名だったプロデューサーの方から「うちに入りたいなら東大に入るか、人とまったく違う人生を歩め」と言われたんです。それから、「自分にしかできないことをしたい」と思うようになりました。

 

ただ東大へは入学できなかったので、大学生向けの渋谷区議のインターンに参加してみました。始める前は世の中を変える場面に立ち会えるとワクワクしていましたが、実際は法案の採決の大半がすでに根回しで完了されており議会はただの事務手続きでした。これでは世の中は変わらないと思い、「どうしたら世の中を良い方向に変えられるのか?」と考えた結果「誰かに任せるのではなく自分が当事者になれば良い」という考えに至り、起業という選択肢が浮上しました。

 

起業をされてから、どんな紆余曲折がありましたか?

一度目の起業は、世の中のトレンドもあり勢いで起業した側面が強かったです。ただ、私は両親が保守的だったこともあり、幼少期から「商売やお金を稼ぐことは良くないこと」という価値観が刷り込まれていました。そのため今思えば、最初の起業は心から納得してコミットできていなかったと思います。

 

そのため、先入観に翻弄されるのではなく、仕事との正しい向き合い方を自分なりに見つけようと、1年間家に籠って本を読み漁ったこともありました。その中で、たくさんの名著や自伝を読み貨幣論や経済学を学び、起業して事業を興し、新しい価値を生み出すことの尊さを心の底から信じられるようになったんです。それからは今に至るまで、起業や新規事業の立ち上げなどの挑戦をずっと繰り返している人生です。

 

 

紆余曲折の末に出会った、魅力的な経営陣と刺激的な環境

なぜ今回は起業ではなく、レバレジーズで働くことを選んだのでしょうか?

代表の岩槻さんや役員の藤本さんをはじめとした経営陣が魅力的で「この人たちと事業を創りたい」と率直に思ったからです。レバレジーズのことは創業当初から知っていましたが、自分が海外に勤務したり起業したりしている間に急成長していました。参入する市場の選定や優秀な人材を採用できる仕組みなどを外から見ていて、徐々に経営陣に興味が湧きました。そんななかで実際に代表や役員と話し、規模感が大きいにも関わらず的確かつ素早く意思決定していくスピード感のある体制や、新規事業をどんどん増やしていくという展望に感銘を受け、この環境で裁量権を持ち事業を創っていくことに携わってみたいと思ったことが理由です。

 

当時はありがたいことに日本を代表するグローバル企業で刺激的なやりがいのあるお仕事をさせていただいていました。ただ経営者としての今後を考えると、より成長ができる刺激的な環境を選びたいと思い、その環境としてレバレジーズが最適だと考え、参画を決意しました。昔から大変な道と楽な道があったら、たとえ大変な道でも自分の将来に役に立つ方を常に選んできたので、今回も迷いはなかったですね。

 

レバレジーズで実際に働いてみて、どんな魅力を感じますか?

私にとっては、売上1000億円規模の企業を創ってきた経営陣と一緒に仕事ができることは非常に貴重な経験です。仕事を一緒にさせていただくなかで、多くの気づきや学びがあります。またレバレジーズは採用にも力を入れており、優秀で視座の高い若手が集まってきています。そのようなメンバーから良い意味で突き上げられたり新たな気づきを得たり、ポジティブな刺激を受けながら働けています。総じて魅力的な人が多いなかで働けていることが、自分にとって良い環境だと思います。

 

一方で、今後改善していきたい組織課題はありますか。

職種間の壁を今よりもっと低くすることで、垣根を超えた活躍がしやすい環境をつくっていけると良いと思っています。現状、レバレジーズは事業部ごとに企画・マーケティング・開発・営業のチームが職種の壁を超え連携していますが、まだ縦割りの側面も強く残っています。もちろん機能面で考えると専門性を尖らせていけるメリットはありますが、それぞれが「事業成功」というゴールに対して責任者レベルの当事者意識を持つことで、さらに事業が成長すると思います。

 

マーケティング職だけどエンジニアと高いレベルで連携ができる人や、エンジニアだけど事業やマーケティングに関する知識がある人、といったイメージです。職域にとらわれずに、事業への当事者意識の高い人材が増えていくような環境をつくっていくことに、少しでも貢献していきたいですね。

 

 

海外を経て日本のエンジニアへ求めることは、「成果への貪欲さ」

田川さんがレバレジーズへ参画してから、一番大変だったことを教えてください。

IT専門職の人材プラットフォーム「※レバテック」が運営する複数サービスを、共通利用できる会員ID「レバテックID」の開発プロジェクトに携わったことです。この共通IDをつくることでサービス間の連携が可能になり、ユーザーは複数サービスを利用できたり、利用サービスを変更したりすることが容易になります。このようにユーザーに与える影響は大きいですが、レバテック全体を巻き込むプロジェクトということで、システム課題が山積みで関係各所との調整にも苦戦しました。
※レバレジーズのIT領域の事業部:https://levtech.jp/

 

大変な状況を乗り越えられたのはなぜですか?

将来のことを考え負荷のかかる成長環境を求めてレバレジーズを選んだので、むしろ挑戦できることが多い環境で奮闘することは私が望んでいたことでした。レバレジーズで事業を創ることは、起業よりも使える資金や人的リソースが多いことから、社会に対しての影響力が大きいと考えています。

 

自らの裁量で良い方向へ変化を起こしていける点は苦労も多いですがやりがいを感じています。優秀なチームメンバーに恵まれながら、大きな裁量を持ち経営陣と対等に良い事業を創っている感覚があり、求めていた経験ができていると感じています。

 

ここまで事業成功へ向けて当事者意識を持てるエンジニアは、まだ世の中には少ないように感じます。なぜ田川さんは身についたのでしょうか?

海外でのプロダクト開発やマネジメントの経験や起業を経て、仕事への考え方が変わったことは大きいと思います。インドネシアで働いていた頃、かなりの実力主義の風潮に日本とのギャップを感じました。インドネシアのエンジニアは優秀な人材であれば、初年度の年収から2年目で3倍近い金額になることもあります。そこから実力がある人はさらに給与が増え、優秀な人は青天井になっていきます。だからこそみんなががむしゃらに仕事をするし、できることを増やすことに非常に貪欲でした。そんな彼らの姿勢に、私自身良い影響を受けました。

 

また、インドネシアでの経験の後に起業をして、少額の資金で事業を成功させなければいけないというプレッシャーのもと身を粉にして働いた経験も大きいです。やはり自身の成果次第で人生が左右される、という極限状態を経験すると事業への当事者意識はおのずと醸成されると思います。

 

最後に、田川さんの今後の展望を教えてください。

事業の成功から逆算して技術を手段としてビジネスを推進していける視座の高いメンバーと一緒に、今携わっているサービスを大きくしていきたいです。私たち事業を推進していく人間は、技術観点だけではなく創っているサービスの5年後10年後を見据えたプロダクト創りをしていかなければなりません。そのためには、一人ひとりのエンジニアが職域を超えた努力を続ける必要があると思っています。結果として、事業が成功して世の中へ良い価値を届けていくことを続けていきたいですね。

 

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